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  • 執筆者の写真Madoka Nakamaru

実はカルメンには〇〇がなかった?!

この3月は、ビゼーのカルメンのツアーをしていました(ベルギーのビーロックオーケストラ、ルネ・ヤコブス指揮)。このプロジェクトでは、ビゼーが最初に構想していたバージョンの「カルメン」を世界初演しました。今日演奏されている「カルメン」とは色々異なります。今日演奏されている有名な「カルメン」は、ビゼー自身の構想と、周りとの要求とのジレンマの上で妥協して出来上がったバージョンと言っても過言ではないでしょう。

マネ「エメン・アンブルのカルメンキャラクターの肖像」


19世紀以降の作曲家や音楽家は劇場やパトロンと契約している以上、自分の純粋な芸術的アイデアをいつでも実現できたわけではなく、お客さんが望む当時の流行を提供したい劇場やパトロンの要求とのジレンマに挟まれていました。パトロンや劇場が芸術を聴衆に提供する以上は「ビジネス」となる側面があるからです。そのジレンマは現在に置いても変わることがないのが「芸術」の現実です。


さて「カルメン」に話を戻します。


ビゼーの最初の構想(1874年のバージョン)と現在演奏されているものの大きな違いは大まかに言って2つあります。


まず一つめ。

なんと最初の構想にはあの「有名な」ハバネラは存在しません。「ハバネラ」は当時スペインで流行っていたキャバレー音楽であり、周りの要求でビゼーが最終的に入れたところ、それが皮肉なことに大ヒットとなり現在に至ります。「ハバネラ」のアリアはかなり官能的でカルメンの「魔性の女」のイメージをすぐに固めますが、ビゼーの最初の構想のバージョンでは、カルメンはむしろミステリアスに登場し、幕が進むにつれてカルメンという一人の女性像を我々自身が発見していく、という繊細な作りの印象を受けました。むしろ幕が閉じる頃には、カルメンは自分の心に正直な、自立した女性という深さすら感じます。

カルメン役を努めたフランス人のメゾソプラノ、ガエル・アルケスが、素晴らしくこの役を演じきっていました。

今回千秋楽で演奏したマドリッドの劇場、テアトロ・レアル


もう一つの違いは、 ビゼーの最初の構想は「オペラコミック」であり、劇場の要求で「グランドオペラ」になったと言う事です。 オペラコミックとは、曲の間に語りを挟んで物語が進み、大抵は2幕や3幕で軽く、ハッピーエンドで終わる、いわゆるミュージカルのようなスタイルで進んでいく短めのオペラの事です。それに対しグランドオペラとは、19世紀のオペラ・ガルニエで「正統派」としてもてはやされ発展していった、4幕か5幕からなる大体は悲劇的に終わる大掛かりなオペラの事です。

1877年に作られたオペラ・コミックのポスター


グランド・オペラでは、通常のセリフの変わりに「レチタティーヴォ」と言って「言葉を歌う」ようになっているので、フランス語がネイティブでは無い「国際的に有名な声楽家」を招いて劇場を沸かせるのに最適な方法だったとも言えるでしょう。 カルメンの物語は悲劇なので、オペラ・コミックを期待している聴衆には期待はずれとなってしまう可能性もあり、周囲はグランド・オペラとしてはっきりカテゴリー分けをしたかったのもあるのかもしれません。 今回のバージョンではフランス語ネイティブのソリストたちがアリア「歌」だけではなく、オペラ・コミックの真髄である「語り」も本当に粋に素晴らしくこなしていました。


この公演はベルギー、フランス、ドイツ、スペインの4カ国で行われましたが、このオペラ・コミックスタイルが一番生きていた国はやはり圧倒的にフランスであったと思います。物語の大半が「語り」で早く進んでいくため、(大半は)フランス語を理解するパリの聴衆は、隅々まで楽しんでいたのがダイレクトに伝わってきました。また「カルメン」は、フランス人が書いた物語をフランス人作曲家がオペラにしたものであり、オペラ・コミックバージョンだからこそ際立つユーモアも実にフランス風です。オランダ語、フランス語、ドイツ語。3か国語を母国語とするベルギーの聴衆にも、語り部分がダイレクトに伝わっているのを感じました。

今回演奏したパリのコンサートホール、フィルハーモニー・ドゥ・パリ


ドイツ、スペインでは字幕はついているものの、語りが早く、字幕を読みきれない場合が出てきますし、字幕を読み切れても、隅々のフランス風のユーモアが体感できるかどうかは個人差があります。このようなケースを目の前にして、なぜ「グランドオペラ」が発展していったのかが理解できるようにもなりました。


しかしながら、登場人物を実に繊細に捉えながら、色彩豊かに臨場感を生み出すビゼーの素晴らしい作曲技法のおかげで、たとえ言葉を理解しない聴衆にも感情と体感に直接訴えかけてくるその素晴らしさには、毎回の公演で鳥肌が立ちました。ビゼーの素晴らしい音楽、「カルメン」という物語の深さ、これ以上は無い適役の素晴らしいソリスト達、フランス語でコミカルに語られるセリフ、ピリオド楽器で生き生きと奏でるオーケストラの演奏、ルネ・ヤコブスの深い考察を、各地の聴衆が心から楽しんでいる様子を感じることが出来たツアーでした。実はビゼーのカルメンの初演は不評だったそうで、実際彼自身もこのような言葉を残しています。

私には明確な絶望的大失敗が予見されます」

今回のお客さんの感動をビゼーに見せてあげたかったな。



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