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  • 執筆者の写真Madoka Nakamaru

永遠の命の喜びを表す鏡

2024年は年明けから心痛むニュースが続きました。まだまだ苦しんでいる方もたくさんいらっしゃいますし、世界で起こっている戦争や紛争もとどまることを知らないかのようです。そんな世の中で、音楽家って音を創り出すことで何ができるんだろう?とたくさんたくさん自問自答してきたのはきっと私だけではないと思います。音楽家は舞台上で華やかに見えますが、それは氷山の一角で、あくまでも自分(と作曲家)の音を求める行為や、音とどのように生きていくかが音楽家の生業です。自分が主役なのではなく、音が主役なのです。「自分」は音を通す媒体です。だからこそその媒体である「自分」のメンテナンスもとりわけ大事なのですが。いきなり、何が言いたいのかよくわからなくなってしまいましたが(苦笑)作曲にしろ、演奏にしろ、音を生み出すという行為、音に限らず、創作する行為にはとてつもなく大きなエネルギーが込められていると思います。

リリースしたCDのタイトル「目覚めよと呼ぶ声が聞こえ」は16世紀に作曲されたコラール(教会で歌われる讃美歌の事)で、様々な作曲家がその讃美歌を用いて作曲しています。一番有名なところではJ.S.バッハのカンタータですが(その故にバッハが作曲したコラールと思われていますがそうではありません)このCDについては、それそのものがこのコラールにインスパイアされたものといっても過言ではありません。一度聴いたら忘れられない、耳に残るメロディー。私はこのコラールが作曲された過程を調べたとき、なるほど…。と思いました。

このコラールの起源は16世紀で、ドイツの牧師、フィリップ・ニコライが、彼の住む町を恐ろしい黒死病が襲った時にその悲しみと混乱の中で書いたものです。彼は自分の大事にしていた弟子までもを失い大変な喪失感にくれていたと言います。彼はこのコラールを含む讃美歌集を「永遠の命の喜びを映す鏡」と名付け、序文にこう書いています。「来る日も来る日も自分の瞑想を音にし、自分自身を取り戻し、神に感謝し、それは素晴らしく、心は慰められ、気は満ち、心から充足していることに気づいた」。

大変な状況に溺れることなく、溺れながらでも、音に向き合い自分を取り戻したがゆえの強さ。それは、音楽に限らず、人生の中で大なり小なり皆が行っていることだと思います。困難な状況で建設的に物事を捉えて進めていくという事。みんな一人ひとりに、きっといろいろな事を乗り越えてきた歴史がある/あった/はずなのだから。

音楽は待ってくれます。寄り添ってくれます。流れてくれます。流してくれます。受け取ってもいいし、受け取らなくてもいい。そんな音楽を愛して今日も音を奏でています。

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